〜表現者としての心と身体を再発見する〜紹介動画:%3Ciframe%20width%3D%22560%22%20height%3D%22315%22%20src%3D%22https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fembed%2FDI3i5Yh8pBc%3Fstart%3D140%22%20title%3D%22YouTube%20video%20player%22%20frameborder%3D%220%22%20allow%3D%22accelerometer%3B%20autoplay%3B%20clipboard-write%3B%20encrypted-media%3B%20gyroscope%3B%20picture-in-picture%3B%20web-share%22%20allowfullscreen%3D%22%22%3E%3C%2Fiframe%3E"There are three masks:the one we think we are,the one we really are,and the one we have in common"-Jacques Lecoq 「(私たちがもつ)仮面には3種類ある:自分が思う自分、真実の自分、そしてみなが持つ仮面だ」-ジャック・ルコック人間はそれぞれが自我を持っています。わたしたちには社交性があり、成長と共に生きるために個性という仮面を持つようになり、処世してゆきます。このジャック・ルコックの学習の中で初期に学ぶニュートラル・マスクでは、”まだ”言葉を使いません。そして特定のジャンルの演技技術を学ぶのでもありません。このワークではシンプルに生命そのものに目を向けます。私たちの創造性-創造したいという欲求-はそこからはじまります。ニュートラル・マスクは、他のどんなマスクとも違って感情や個性がありません。過去や未来を持たない、”今ここ”に存在し続ける普遍的なマスクです。このマスクはつける人間に対して、ニュートラル・中立であることを求めます。だからこそ、このマスクをつけた人間の、そのものを浮き彫りにします。(2024年単発 ニュートラル・マスク)日常生活の中でも舞台表現でも、常に顔を見る私たちにとって、ニュートラル・マスクの顔からは普遍的だからこそ人間以外の要素を受け取ることができません。そのため、見ている人は必然的に他の部位=身体を注視するようになります。身体が何を語っているのかが明瞭に”見る”ことができる。浮かび上がってくるのです。さらにこのワークでは、演技に入る前の段階である普遍的な詩的感覚も養います。色や質感、音、光、空間。これらのエレメントを私たちは感じています。これらに影響され、私たちは動いている。感情も、これらに触発されて起こっています。ただ単にエレメントを分析して、そのものを表現しようとするのではありません。エレメントを受けとめることで生まれてくる別のもっと素晴らしいものを表出させるのです。それは分析し理解するのではなく、説明するのでもありません。あたたかな、でも透明な朝の日差しを浴びて身体の中に生まれるものを、自分のものとして感じるだけではなくそれを外へ‥‥‥とても抽象的なことのように感じられるかもしれませんが、それは俳優が「アーティスト」ならば、行うべき、根本であると思っています。俳優の演技はよく“旅”に例えられます。俳優は観客を旅に連れていく運転手です。観客は乗り物に乗り、俳優の手によって様々な旅をします。俳優は、思考や感情、ストーリー、テンション(緊張)などという様々なツールを使って乗り物を運転します。この乗り物の正体は私たちが普遍的に持つ能力、想像力です。私たちは観客として、自分たちの想像という乗り物に乗り、俳優の創造と共に旅をします。素晴らしい旅であれば、その道程がどうであれ、充足感と疲労感を、その経験を通して得ることができるでしょう。私たちはそれを求めて舞台に行くのです。ニュートラル・マスクは、あなたが俳優として観客にその経験を生み出すための身体を見つける大きな助けとなるでしょう。自分を知り、”障害”を知る。感じ、受け入れ、楽しむ。最大限に利用する。頭で理解するだけではなく、身体で、ぜんぶで知る。自分の身体がこの世界に物理的に存在し、どんな形をし、どう機能しているのかを学ぶ。どんな動きをし、どんな可能性を持ち、どう世界と関わっているのかを知ること。マスクの下で生まれるもの−感情−を知ること。一緒に旅をしましょう。なるべく遠くへ。見たことのない景色を見にいきましょう。それが旅の醍醐味です。