〜大きな感情を嘘なく扱うために〜舞台で「信じられる演技」とは何でしょう?あるいは「信じられる感情表現」とは?ドラマで描かれる感情的な恋愛が信じられる時もあるのに、同じようなものでも信じられず、むしろ風刺のようなジョークに見えるのはなぜなのでしょう?大きな感情を扱うためにはいくつもの技術が必要とされます。このクラスではテキストを使ったワークや舞台演技のダイナミズムについて取り組み、劇構造の理解も同時に学びます。またメロドラマでは大きな感情を扱います。身を裂かれるような悲しみ、燃えるような怒り、天にも昇るような悦び…技術が伴わなければ嘘に見えてしまうような演技についても学んでいきます。メロドラマを「ご都合主義」と揶揄する言葉も耳にしますが、現実では脈絡なくとんでもないことが起こり、あたかもそうなることが決まっていたような結末が訪れることがあります。英国の詩人バイロンが「事実は小説よりも奇なり」“Fact is stranger than fiction.” -George Gordon Byronと言ったように。1843年のある日の夜。ある演劇学校がフランスに誕生しました。俳優で同僚だったRogerとSuzanne Dumasは自分達のスタイル「メロドラマ」を教える学校を作ったのです。二人は将来、老いて自分達の生み出したアートを表現できなくなる前に、それを後世に残そうと考えたのです。その学校は彼らの興行的な成功もあり、とても有名になりました。1848年、多くの市民を巻き込んだ2月革命が勃発。夫婦となったRogerとSuzanneも市民と共に王政に対し反発しました。「貴族やブルジョアジーは人々を恐れるがゆえに嫌っています。メロドラマの俳優たちは彼らを愛し尊重します。」Rogerは革命指導者たちの前でこう言いました。二人のお気に入りの脚本家はもちろんレ・ミゼラブル(1862)のVictor Hugo。芝居の中でも司法執行官を悪役として演じ、政治に対し市民の立場を支持しました。1871年、Dumas家は政治の手から逃れるため友人らと共に潜伏していました。その隠れ家の玄関にノックの音が。ドアの向こうには憲兵隊の男。その背後には警官たち。憲兵隊の男は、「Dumas家は拘束、全員を法廷に連行する。死刑か終身刑となるだろう。」と言い放ち、一家全員を拘束。車で彼らを連れ去ったのです。ところがその車はあろうことか人気のない森の中に向かいます。不審に思ったRogerは彼らを問い詰めました。「…(法廷に行くのは)嘘だ。森の匂いがする。いったいどこに連れて行くのかはっきりしてもらおう。」その時、車が止まり、憲兵隊の男が言いました。「降りろ。」車から降りた彼らに「ブルジョアと皇帝の名の下に、貴様らをここで殺す。」…しかしその声は、彼らにとって聞き覚えのあるものだったのです。「フレデリック!!」Suzanneが叫びました。フレデリックと呼ばれた名優は二人に敬礼し、言いました。「その通りです。助けに来ました。」何と彼らは全員が変装した俳優たちで、粛清される恐れがある演劇関係者を避難させていたのです。「なんと素晴らしい、演劇の家族か」Rogerはつぶやきます。その後Dumas一家は偽の身分証と共に電車に乗り、難を逃れ、後世にメロドラマを残しました。メロドラマはハリウッドなどでも使われるスタイルとなり、多くの作品を生み出し技術を発展させました。…ご都合主義と言われればそうかもしれません。ですが彼らは生きた人間であり、夢を現実にした人々でもあるのです。メロドラマの主人公たちは偽りのない人々です。嘘偽りなく困難と対峙し、戦います。シニカルで斜に構え「そんなことは夢物語だ」と現実から目を背ける自称現実主義者ではありません。彼らは夢想家で理想家で、現実主義者です。だからこそ葛藤が生まれます。このシンプルで力強いスタイルは今も続く演劇の流れの中にあり、それを学ぶことはその流れのなかに身を置くことでもあります。それはあなたの演劇を浮き彫りにしてくれるでしょう。真摯に取り組む技術を、身につけてみませんか。“Big gestures demand big feelings. Big feelings demand a technique with witch the actor has fun.” -Phillipe Gaulier「大きな感情がなければ大きな演技は成り立たない。大きな感情は俳優が持つ楽しみと技術に裏打ちされている。」-フィリップ・ゴーリエ