〜すべての人が”アーティストとして”クリエイションに携われるように〜紹介動画:%3Ciframe%20width%3D%22560%22%20height%3D%22315%22%20src%3D%22https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fembed%2FDI3i5Yh8pBc%3Fstart%3D1314%22%20title%3D%22YouTube%20video%20player%22%20frameborder%3D%220%22%20allow%3D%22accelerometer%3B%20autoplay%3B%20clipboard-write%3B%20encrypted-media%3B%20gyroscope%3B%20picture-in-picture%3B%20web-share%22%20allowfullscreen%3D%22%22%3E%3C%2Fiframe%3E舞台芸術は誰が作るのでしょう?その作品は「誰のもの」でしょう?戯曲家?演出家?俳優?衣装デザイナー?音楽家?舞台監督?音響家?照明家?日本では戯曲家や演出家は「わたしの作品」と呼ぶのに対し、俳優は「出演作品」と呼び、他の関係者らは「わたしが関わった作品」と呼ぶのが慣例的になっています。戯曲家・演出家主導のもと、作品づくりをする構造が一般的です。他にも作る方法はあるのではないでしょうか?例えば遊び場でこどもたちがゲームを開発しているように、またベンチャー企業で社員ひとりひとりがプロジェクトに関わり、会社の運営に全員が関わることのできる構造は、舞台製作ではあり得ないのでしょうか?ディバイジング Devisingとはdivide=分けるの派生語で、「考え出す、工夫する」という意味の言葉です。舞台はみんなのものです。作りたい人が作ればよいのです。そしてその作品は、当然作った人に帰属するものです。音楽家だけで作る会話劇があってもよいし、照明家だけで作るダンスシアターがあってもいい。俳優だけで作る不条理劇があってもいいはずです。その方法のひとつとして考え出されたのがこのディバイジングという作り方です。関わる人すべてが”アーティストとして”舞台を作る方法を模索します。わたしたち俳優が創作の現場で、縦型ではないヒエラルキー構造をつくるには何が必要で、どういう前提で舞台作りに取り組めば良いのでしょう?海外の創作の現場で既に一般化されているディバイジングの方法を取り入れ、わたしたちの文化に即したやり方をみつけていきましょう。