〜『真似る』を知る〜"I have the impression that the 'bouffon world' would be a wonderful starting point today for anyone wanting to talk about the world, politics, ecology and the massacre of peoples."-Phillippe Goulier「私は"ブフォンの世界"が、今日の世界情勢や、政治、環境問題、民族の虐殺についてを語りたい人にとって、素晴らしい出発点になるだろうと思う。」-フィリップ・ゴーリエ『真似る』と一口に言っても、本当にたくさんのジャンルがあります。モノマネもそうですし、パロディ、パスティーシュ、バーレスク、風刺、クラウン…このBouffon(ブフォン)も『真似る』のジャンルになるでしょう。演技もまた、大きな枠組みの中では『真似る』ということになるかもしれません。想像の中のキャラクターを『真似る』”演じるものは自分ではない”という認識がある以上、それは真似と言ってもいいかもしれません。『真似る』という行為は、たくさんの場面で見ることができます。子が親から学ぶ時技術を学ぶ時舞台などで人を楽しませる時…思えば、わたしたちの生活から切っても切り離せないものかもしれません。"We inform you...That we're not asking for love We couldn't care less for loveWe inform you...That we're not crying out for justiceWe couldn't care less for justice"-Quoted from Le Gégèneur / The Tormentor written by Philippe Gaulier「お伝えしておきます私たちは愛を欲しているのではありません愛など、どうでもいいのですお伝えしておきます私たちは正義を叫んでいるのではありません正義など、求めてはいないのです」-Le Gégèneur / The Tormentor の一節より引用、フィリップ・ゴーリエ著ブフォンではその『真似』を通して、強烈な批判を行います。ですが、そこには真実のような堅苦しい空気ではなく、笑いがあります。あまりに笑いの空気しかないため、一体だれがだれを批判しているのか錯覚するほどです。ですが後に残るのは、なんとも形容し難い、「飲み込みづらい事実」と、「確かにそれを笑い飛ばした」という実感です。その扱われている事実がどれほど重く深刻なのか、痛感して余りある実感が広がります。この感覚が、創作物を「単なる批判」ではなく、「一考すべき重要なこと」に昇華し、観客の心にそのテーマを深く刻み込む要因となるのでしょう。そして「一考すべき重要なこと」に、笑いとともに昇華されることで、自分たちの行動と立ち位置を再確認することに納得でき、あるいは、批判の対象を持つコミュニティが再度一丸となれるのかもしれません。このクラスで学ぶことは、そういった舞台表現の妙だけではありません。ブフォンでは、高い身体能力が要求されます。明らかに自分とは違う身体を、真実性をもって演じ続けなければならないスタミナや、自分とは違う身体でありながら、まるでその身体を産まれ持ったかのように軽やかに演じなければなりません。また、観客との適正な(心理的・物理的)距離を保ち続けるセンシティビティ、キャラクターボイスや、振る舞い、ビルドアップの正確さ、ヘジテーション(ためらい)やジャッジメントを持たないこと、アンサンブルとしての振る舞いやコミュニケーション能力、空間把握、リズムなど本当に様々なことを正確に行うことを要求され続けるため、非常に実践的に学ぶことができます。さらには、『真似』が確実に、正確にされなければ、言い換えれば「本当にそっくり」でなければ、そもそもが成立しません。だからこそ、オブザベーションスキル(見る能力)や再現の正確性が求められ、それに応える中で学ぶことは非常に大きく、有意義なものであります。演技の本質的要素である「見る」と「真似る」をブフォンというフォーマットを通して学ぶことで、確かな技術と、その後もしご自身がそう言った「批判的創作」に携わった時に立ち返ることのできる、アイディアの源泉を得ることができるでしょう。